貧しい画家の青年が故郷を遠く離れ、親しき人のない街に寂しく暮していました。
そんな彼を訪れ慰めてくれるのは、昔と少しも変わらない懐かしい月だけでした。
月は世界を巡り、見てきたことを青年に聞かせます。
「わたしの話す事をかいていってごらん。きっと美しい絵本ができあがるよ」
―――アンデルセン作『絵のない絵本』から―――
日毎に強くなる太陽が沈み、熱った家並に山からの風が吹き始めた南の国の港町で
わたしは人形一座の少女を見かけました。
一家で出かけて食事をした後、先に家に戻った少女はまだ幼い妹を寝かせつけると
お気に入りのあやつり人形を取り出しました。
人形を抱いた少女はしばらくお姉さんの使う衣装を見つめていました。
引込み思案で人前では思うように人形を使えない少女には、まだ芝居用の服を買って
貰えなかったのです。
そうする内、何かを思いついた少女は物入れの中を探しました。
出てきたのは、少々草臥れていましたが、きれいに洗ったレースの布でした。
それは下働きに雇ってもらったカフェの主人が捨てようとした物を、口どもりがちに
小声でやっとの思いで欲しいと言って、貰った物でした。
服を脱いで纏ったそれは、肩で布の端をシュッと結んだだけの粗末な衣装でしたが、
わたしの柔らかな光を受けた細い織糸がほの白くきらめき、身体を隠すというよりは
素肌の色を透かせて、とても愛らしいものでした。
この布が昼間見た時よりも透けてしまうのに気づいて、ちょっとはにかみながらも
人形使いの練習を始めた少女はやがてそんなことも忘れて熱中していきました。
眠っている妹を起こさないように低くではありましたが、人前では苦手な科白や歌も
自然に口に出るようになりました。
『人形、上手だね。まるで本当に生きてるみたいだ!』
仲良しになった少年の言葉が思い出されて、嬉しそうにほころんだ少女の顔を見て、
思わずわたしの丸い顔もますます丸くなりましたっけ。
やがて時が移り、わたしもこの窓から離れなければならなくなりました。
わたしの影が部屋から消える間際、もっと人形を上手にあやつりたい、という少女の
ひたむきな心がわたしにちょっとした魔法を使わせました。
人形と一体になるためには人形になり切らなければ・・・
部屋の古い鏡に一瞬、人形となり、わたしの光だけを纏った少女の姿が映りました。
場所が屋根の上だったのは、少女が自分ではまだはっきりとは気づいていない、一人
の少年への想いがそうさせたのです。
そこは少女と少年が初めて友だちになった場所でした。
二人はやがて……
月にむら雲がかかり、あとからあとから続いて、とうとうその夜はそれ以上、月の
お話を聞く事ができませんでした。
いつかまた、このお話の続きか、別のお話が聞けた時にかいてみましょう。